人事ブログ

ベクトルを合わせる機会を作ること。
2014年07月22日

こんにちは。
フュージョンの沖津です。

facebookでも速報的に掲載していましたが、先週金曜日から土曜日にかけて、入社2年目・3年目のメンバーを中心に、定山渓温泉の鹿の湯さんで合宿を行いました。
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これまで毎年年2回マネージャー合宿を開催してきましたが、今回の企画は初めての取組みです。

近い将来会社の屋台骨を支えてくれるであろう2年目、3年目社員のみんなに改めて会社の理念を深く考え理解してもらう機会を作りたい、あるいは相互理解を通じて連帯感を持ってもらいたいという趣旨で企画されたものです。


まずは2人1組ペアになって、他己紹介からスタート。


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5分でみんなの知らない意外な一面をヒアリングして紹介するのですが、5分間質問を続けるのは案外難しいですよね。

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アイスブレイクの後から本格的な議論やグループワークです。

社長を中心に「フュージョンは何の会社?」「マーケティングとは?」「マーケターってどんな人材?」など、基本的だけど大切な話題について考えます。

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みんなのベクトルを合わせる機会は組織にとって大切な時間ですね。

それぞれの抱えている仕事上の悩みを共有して、みんなでアドバイスする時間。
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初日の最後は専務の安田さんが講師になって、株式会社とは、決算とは、ということについてレクチャー。

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2日目はコンセンサスゲームからスタート。

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妥協禁止、多数決禁止。
論理的に話し合って、砂漠から脱出するために必要な12のアイテムに優先順位を付けます。
意見や価値観の違う複数の人たちで合意形成していく難しさを実感していきます。

最後は、ロールプレイング研修。
フュージョン社員とクライアント役に分かれて、
フュージョンの説明から相手の課題をうまく引き出すトレーニングです。

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今回のグループワークは、「相手の話をよく聴く」ことに焦点が当てたメニューが多く盛り込まれました。


フュージョンは全社員がクライアントの課題を解決するための「マーケター」が揃った会社だとするならば、まずは相手の課題をしっかり聴くことのできる人たちが揃った会社でありたいと思います。



夜も深夜までみんなで同じ部屋で集まり、懇親を深めることができました。

オンもオフも含めて多くの時間を共有する中でいつも感じることは、フュージョンには「自分の頭で考えられる人」が揃っているということです。

だからこそやらなければならないことは、合宿においても、軍隊的な統制でも、官僚的なルールの押しつけでもなく、自己規律の文化の醸成なのだと思います。

各人が素晴らしい成果や最高のサービス・提案を生み出そうとする強い意志を持つこと。
そのベクトルを合わせるための機会を多く持つことなのかもしれません。


自分の頭で考え、自分の意志で行動できる人たちが、同じベクトルを向いている組織が、おそらくブリリアントな成果を成し遂げる組織なのでしょうから。

採用担当_沖津
2014年07月22日 | 
会社の両義性を理解すること。 ー 「共同幻想」について語る。
2014年07月15日

こんにちは。
フュージョンの沖津です。

ここ数か月、隔週の頻度で社長を中心に会社の理念をディスカッションする機会を作っています。


昨日のミーティングでは、議論が発展(拡散?)し、吉本隆明の『共同幻想論』が飛び出しました。
(なんて、哲学的な会社なんでしょうか笑)


会社の理念が「幻想だ」なんていうと、まるで実体のない虚飾、あるいはブラック企業が社員を騙して働かせるみたいなイメージを抱く人もいるかもしれません。


何かと「ブラック」というレッテルが張られやすい風潮だと感じていますが、難しいのは、飛躍する企業は、ときとして社員の「自発的な」自己犠牲を必要とする、という問題だと思っています。
(「自発的」が重要です。)


社員が自分の生活を優先し、顧客の要求に対応しなければ、会社の信用が落ち、利益も上がらなくなります。
社員みんなが自分を犠牲にせずに会社も順調に行けば理想的ですが、そんなことは現実にはそれほど多くはありません。
社員の誰かにしわ寄せがいく。そのしわ寄せを不当なことだと考えずに献身的かつ自発的に仕事をしてくれる社員がいなければ、会社は立ちゆかなくなるのです。
どのような会社も多かれ少なかれ、社員の自己犠牲に支えられている側面はあると思います。



人が自己犠牲をいとわないのはどんな時なのでしょうか。

金銭的動機付けによってだけ動く人を「自発的」と呼ぶことはできません。


そこには、やはり顧客への信義や会社への信頼、仲間への愛情、仕事への志といった倫理感に支えられているからこそ、社員はときとして犠牲的な行動をとることができるのだと思っています。

そのためには、その会社が、働く人にとって、自分を犠牲にしても守るべき崇高な価値を体現している、と認識されなければならないでしょう。
企業の存在理由が金銭的利益の最大化だけだとしたら、それが自分を犠牲にしても守るべき価値だと、社員が思うことはできません。


会社が売る商品やサービスに、高い社会的、公共的な価値があるからこそ、その商品・サービスが売れ、会社が結果的に利益を得る。
会社の存在に金銭を超えた公共的価値があることは、利益が上がるための前提条件であり、人がそのために献身できる理由になります。


その「共同幻想」は決して根拠のない幻想ではありません。
理念は、「働かせるための手段や方便」であってはならないのです。


社員がある種の「実体ある共同幻想」を持てない会社は、結局、よい仕事はできないはずです。
そして利益も上げられず、その存続自体が危うくなってしまいます。



会社という存在の持つ両義的な性質(利益を追求しなければならないし、しかも、利益を超えた存在理由を持たなければならない)を深く理解できる人材の揃った会社は強いのかもしれませんね。

採用担当_沖津
2014年07月15日 | 
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